ント・バーナード峠というとまず頭に浮かんでくるものは、あの小さな樽を首にぶらさげたセント・バーナード犬ではないだろうか? でも、もう少し知識を広めてください。 

 以下にセント・バーナード峠の救護所にある日本語の案内をコピーしました。

日本の皆様へ

 大セント・バーナード峠は、古代の初頭にはすでに人々が通っていることからわかるように、多くの歴史の足跡が残されています。ケルト、ゴール、ローマ人達の残した多くの道具、貨幣、同じくジュピター・ポエニンによって献納された家屋、神殿などによって彼らの通った峠へのコースを知ることが出来ます。
 ローマ帝国の失墜により、建築物は廃却されたため、商人、軍隊、巡礼などの通行人達は、山賊が出没し、そのうえ冬には、峠にいたるまでスイス側のブルグ・サンモーリス、イタリヤ側のサン・レミーの街から各25キロメートルの距離があって雪、寒さ、風雪の脅威にさらされました。

 この悲しい、さきに記したモンジュウの通過に多数の犠牲者達がでたために、にベルナール・ド・マントン(セント・バーナード)は、西暦1050年に峠の頂上に避難所を建設して、修道士達に、山越えするすべての人々を迎え宿泊食事を与えることを依頼し、彼らには 「ここはキリストが愛し、食事を与える所です」いう言葉をモットーとしました。
 
 救護所はもうじき創立されてから1000年になろうとしています。夏冬変わりなく門戸は開かれ、2500メートルの標高にあって、ここを通るすべての人々を迎え入れています。1964年にトンネルが開通して峠は往時のような重要性はなくなりましたが、それに代って、安らかさと、静かに物事を考える場を求めるには最適の場所として人々を迎えいれています。

 これらの長い、峠と救護所の歴史をこの博物館は再現して、訪れた皆様に、ただ単に「セント・バーナード犬」のイメージだけではなく、素晴らしい愛の歴史が全ての人々のために記された、大セント・バーナード峠の生きた思い出としていただきたいと思っています。

 信者、信仰の違う人々、全ての人種、全ての国籍の人々、それら全ての人々は毎朝行われる救護所の、
「主よ、この一日、峠を越えて行く全ての人々をお心に留めておかれますようにという祈りの中に加えられています。
 貴方もまちがいなくそのうちの一人です。

ご訪問を感謝いたします。

            大セント・バーナード峠救護所
            1946 ブルグ・サン・ピエール


以上のように、この峠は、現在のフランス領オート・サボア県の県庁所在地アネシーの湖の近くの荘園領主マントン家に生まれて家を継ぐはずだったベルナール・ド・マントンが、神の啓示を受けたとして、結婚式の前日に城を抜け出してイタリアのアオスタで滞在後、峠の安全のため、当時峠に徘徊した山賊を退治し、救護所を設置して峠越えを安全なものとした。
 このためにモンジュウの難所といわれていたものがセント・バーナード峠と呼ばれるようになった。
 遭難した旅人は初め修道士達が救助していたが、やがてマロニエと呼ばれる山に詳しい土地の人達が救助にあたるようになる。この人々がスイスの山岳ガイドの元祖になるとして、スイスではセント・バーナードはガイドの神様といわれている。信仰というものではないが、私もいろいろなことがあってセント・バーナードには

バリー
昔救助に活躍したバリー現在のセントバーナード犬より小型で毛足が短く脚も短い。むしろ日本犬を思わせる

縁があると思っている・・・・・・・・・・。この救助の専門家達に加えて、シベリヤ原産の犬を救助犬として使うようになったのがセント・バーナード犬となって、今でもその子孫達が冬季は別として峠の犬舎で幸せな日々を過ごしている。犬舎の子犬達

 今救護所は、昔の用途とは違う、トレッキング、登山者のための宿泊所となっている。時には木の十字架を首に吊った牧師さんが宿泊者の相手をしてくれる。

 ポレオンの借金 ナポレオンのアルプス越えは有名な話だがスイス側から大セントバーナード峠を越えるにあたって、スイスの麓の町に物資調達をしてその借用証が今でもブルグ・サン・モーリスの街に保存されているがいまだにフランスから返されていない。